2008年07月04日

戦国BAR

戦国BARの第二段が7/20オープンしますexclamation?~2

前回は六龍堂さんと賀茂公家芋本舗Vasara3さんとのコラボで開催され

大盛況に終わった戦国Barの第二段ですよぉ〜?????????i?V?????j

それも今回は、長曾我部最高委員会とのコラボで行われます

あぁ〜〜〜行きたいぞぉ?_?b?V???i?????o???????j?_?b?V???i?????o???????j?_?b?V???i?????o???????j?_?b?V???i?????o???????j?_?b?V???i?????o???????j

どこでもドアが欲しい!!

六龍堂さん,最高委員会会長の右衛門太郎さんには本当に足をむけられないくらい

お世話になっておりますのに・・・・。京都より成功を祈るばかりです?????????i?V?????j

っと思っていたら私共兜も少し参加させていただけることに!

ワッセワッセっと描きました、私共兜の蛟竜盛親Tシャツ長曾我部水軍Tシャツ

それにそれに、サムライズムアートさんの元親Tシャツの3点のどれかを着ていれば

通行手形3000円を2500円に?O?b?h?i???????????j?O?b?h?i???????????j

あぁこのような形でも参加できるなんて嬉しすぎます?????????????????????????[?i?????L???P?j????????

さてさて、詳細に

2008年7月20日(日) 15:00〜20:00

Brumedor ブリュームドール
東京都港区西麻布1-2-12 デュオスカーラ西麻布タワーB1F
東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木」駅より徒歩7分

15:00 OPEN!
15:30 『誰ガ為ノ剣』DVD上映
18:00 “元親初陣ノ酒”抽選会
19:00 戦国カルトクイズ第二の陣
19:30 ラストオーダー
20:00 CLOSE!

2月に公演された劇団『シアターキューブリック』様http://www.qublic.net/
長宗我部元親の舞台『誰ガ為ノ剣』のDVD上映会と、DVD販売をいたします!
シアターキューブリックさまのご協力を得て、会場が長曾我部100%に!
なにやら、素晴らしい演出もあるかもしれないとの事・・・。
当日は、長宗我部好きからこのお芝居を作られた、脚本・演出の
緑川氏もいらっしゃる予定。
熱い思いを語って頂ければ・・・と思います。

凄いことになりそうですよぉ〜〜????????

MENU
【戦国通行手形―七つ片喰―】・・・¥3000
・ドリンク券×2枚―お好きなものドリンクメニューよりお選び下さい―
・お通し券×1枚 『元親3種盛り』
 ―桂浜の偶然の産物・大阪への献上品・友達からのお土産―
・デザート券×1枚
 ―太閤様からのまんじゅうと長曾我部家ようかん―
・“元親初陣ノ酒”抽選券
・『誰ガ為ノ剣』鑑賞券
・戦国カルトクイズ第二の陣参加券

Food
【長曾我部家のお食事】・・・¥500
・土佐の元親 ・戸次川の信親 ・大阪の盛親

Drink
【長曾我部家の禁酒法】・・・¥500
―ノンアルコールカクテル―
・国親 ・元親 ・信親 ・盛親 ・菜々

【長曾我部家四国統一への道】・・・¥500
―アルコールドリンク―
・福留隼人の解禁麦酒 ・姫若子 ・鬼若子

【長曾我部家を酔わせた人々】・・・¥500
―日本酒―
・織田信長 ・豊臣秀吉 ・明智光秀

(上記内容は長曾我部最高委員会会長 右衛門太郎さんのmxiコミュより引用させて頂いております。)

そのほかにも盛りだくさんな内容で皆様を酔わせてくださりそうですよ???[???i?????????j???i?`???L?j

前回は100名超える戦国ファンが押し寄せたとか・・・・

今回は更に熱く燃えるんでしょうね!

是非是非参加して熱く戦国を語って下さいです?????????i?V?????j
 
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posted by 由 at 02:43| 京都 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

長曾我部盛親


 今日はお互い仕事終わってからどうしても!どうしても!!
 
 行きたかった場所へ暗くならないでぇ〜〜っと叫びながら

 車を走らせました。

 実は、先週にも一度探し回ったのですが・・・結局辿り着けず?????????`?i?????????j

 今度こそ!!って感じで時間も時間だったから日が暮れたら

 諦めるしかなかったのですが・・・探しあてました?????????i?V?????j

 何がって?

 長曾我部 盛親が大坂夏の陣後に潜んでいたという民家にですexclamation?~2

yawata1.jpg

 石垣の上に建つ民家・・・修理は勿論してあるのですが、400年前の香りある民家です。

yawata3.jpg

 側面は板張りで家の中にはちゃんと陽がとどいてる??っと思わせるお家です。

yawata2.jpg

 盛親はここ京都八幡で潜んでいたそうなのですが、悲しいかな蜂須賀家の家臣に見つかってしまい

 捕らえられその後、みせしめのために二条城門外の柵に縛り付けられ5月15日六条河原にて子女

 と共に斬首され三条河原にて梟首されました。

 が、関ヶ原の戦いに参戦後再起を期し京洛の地に寺子屋を営んでいた時に親交のあった

 京都連光寺の住職蓮光上人が所司代 板倉勝重に請い首級を持ち帰り葬って供養され、現在も

 供養は続いています。

 せっかくなので、私は仕事があったので行けなかったのですが?????????`?i?????????j

 連光寺住職のご好意により、盛親公の遺品を見せて頂いたので少しだけ。

morichika1.jpgmorichika02.jpg

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posted by 由 at 21:50| 京都 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

孝蔵主の墓所「報恩寺」

先日、鳴虎 報恩寺へ行ってきました。
報恩寺の東門前にかかっている橋は、孝蔵主によって寄進された橋で
桃山時代の代表的石造美術品として有名なお寺さんなのです。
太閤とは非常に縁のあるお寺でもあるのです。
houonji01.jpghouonji 2.jpg

このお寺は太閤の京都町割りの改造によって旧地から現在の寺之内に
移されたという事でした。

又、報恩寺弟九世和尚は太閤の叔父に当たる方だったようです。
その関係があったためか太閤はこの報恩寺を度々訪れていたようです。
そのため、太閤にまつわる寺宝が沢山ありました。

houonji 3.jpg

この橋の擬宝珠は今も二つ現存して大事に保管されています。
慶長7年に寄進された時の擬宝珠です。
他は盗まれたとのことでした。

houonji 7.jpg

又、この鳴虎報恩寺の名前の由来には、こんな話が伝わっていました。
太閤が来寺の際、虎図を聚楽第でゆっくり鑑賞したいと言われ借りて
帰り床にかけて鑑賞を楽しんだのですが、夜になって虎が鳴動したため
太閤は眠れず「これは鳴虎じゃ早く寺へ返せ」と翌朝早々に返還、爾来世
に鳴虎といい、鳴虎報恩寺という称号を持ちいるようになったのだそうです。

太閤の画像もこの報恩寺にはあるそうで、慶長頃の作と推定されることからも
非常に親しい関係を持ち折りにふれ訪れていたことは確かでしょうと話して
頂きました。

そんな事もあってか、北政所の執事であった孝蔵主はこの報恩寺に
逆修墓を建てていたようです。ただ、詳しいことはわからないようです。
が、「報恩寺。安部家廟の北、即最東端墓列の北方に位し、・・・・
豊臣秀吉が侍尼、世に孝蔵主と称す、本寺に住し首座と号す」
と京都名家墳墓録に記されています。


houonji 5.jpg


houonji 6.jpg

又、この報恩寺では、家光の三代将軍就任の式典に列席するため、
筑前の黒田長政公が江戸より入洛した際ここ報恩寺を宿舎としたのですが、
持病発作し名医の手当ての甲斐なくこの方丈にて亡くなられています。

そして、上段の間に阿弥陀如来像が祀られており、厨子内には長政と
如水の位牌が並んでいます。

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posted by 由 at 23:01| 京都 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

豊臣秀次の父上母上

今日は雨も止んだので史跡めぐりをすることにしました。

ここ最近は豊臣秀次公に関連する史跡をめぐってたので、その母上「と も」に関係する

ところも少し知りたいと出家する前に居たとされる嵯峨 野の「嵯峨村雲別院」を訪ねてきました。

sagamurakumobetsuin.jpg

非公開寺院と聞いていたのですが、実際行ってみたところ墓地となって

おりいろいろな話を聞きたかったけれど、聞く方もおられず残念な結果 となってしまった。がく〜(落胆した顔)

sagamurakumobetsuin2.jpg

けれど、近所のおじさんがお墓があるはずだとの事で左近と二人探して みたところありました!

sagamurakumobetsuin4.jpg


剥落がひどくて分かりづらかったけど、手をあ わせることは出来ました。

その前に小さな塔があったので何かと覘いてみたら秀次様の塔と書かれてました。

管理されている方でもおられたら話が聞けたかも知れないのに本当に残念でした。?o?b?h?i???????????j

sagamurakumobetsuin3.jpg

次に知りたくなったのが秀次の父上の史跡はどうなのだろう??って

秀次の父「三好吉房」は秀吉と違い男子に恵まれたけれど先立たれ秀吉

没後放免されて京に戻り、本圀寺において秀次ら子ども達の菩提を弔い

亡くなったという説があったので色々調べてみたら、本圀寺内に妻「と

も(瑞龍院日秀)」の助けを借り塔頭「一音院」を建立し子ども達の冥

福を祈り余生を送ったとされています。

hidetsuguchichi 1.jpg


寺院という感じはもうなく話を聞きに行って良いのやら・・・

っと言うことで結局断念して墓所を探しに行きました。

没したのは慶長17年(1612)法名・建性院殿三位法印日海大居士。

その墓所は一音院より5分ばかり歩いた場所にありました。

 hidetsuguchichi2.jpg

行ってみて驚いたのが、その墓所は松永弾正の屋敷跡だったのですよ。

供養塔もありましたのでしっかり手を合わせてきました。

matsunagadansyo1.jpg

更に、その墓所は約400年以上の歴史ある墓所でその年数に亘るいろいろ

な年代のお墓が混在しており、正直このような墓所は初めてだったので

驚いてしまいました。

子どもの頃に聞いた他愛もない作り話まで思い出したりなんぞして

墓地でこけるとその晩黄泉の国から迎えが来るんだ!!などという

学校の怪談に似た話・・・泣き顔

怖かったんですよあせあせ(飛び散る汗)信じてしまってたから・・・たらーっ(汗)

だから、思わず墓所から出るまで足元をしっかり見つつゆっくり

こけないように歩いてしまいましたあせあせ

余談ですが、その近所に瑞雲院という小早川秀秋の菩提寺があるんです。

zuiunin.jpg

私、微妙に心がざわついてしまいました?????i?{???????j

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posted by 由 at 00:03| 京都 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

大谷吉継Tシャツ

GWもあっという間に終わってしまった・・・


けど、身体はなかなか元の状態に戻ってくれない


なんだか重い感じ?????`?i???_???????j


けれど、そんな重さを吹き飛ばそうと私がずっと


作りたかった吉継公の
Tシャツを描き始め・・・


でけました♪

yoshitsugu 1.jpg

5月号の歴史街道でも取上げられてましたが、

そう
     ・・筋を通した武将が好きな左近と私。


私は中でも三成公と吉継公がたまらなく大好きで


三成公
Tはすでに作っていましたが、吉継公T


デザインがなかなかまとまらなくって・・・今になってしまった


家紋である対い蝶のデザインを膨らませ私なりの吉継公の


イメージを表現しました。


yoshitsugu 2.jpg

吉継公は清廉で潔い純白のイメージがあるので土台の色をホワイトにし、


関ヶ原の合戦があった頃に咲く美しい月下美人の花びらを
散らしました。


散らしてしまったら何の花かはわからなくなるけれど、吉継公を


思う時必ず思い浮かぶ夕闇に白く輝く月下美人を

自己満足で描きたかった(苦笑)


悲しいまでに美しく散っていく花びらをバックに吉継公の印章をあしらい


家紋である対い蝶を華やかに描いた作品に仕上げました。

今回はかなり私の中でも鮮やかな配色をパール使いで

(いつも結構地味線なんで・・・?????????i?????U?????j

頑張ってみました!!笑

けれど、兜の作品を作るにあたっていつも困ってしまうのは

敗軍の将を主に取りあげているので遺品等の資料等が乏しく

不明な点も多いため彼らをデザイン的にどう表現するか難しいところです。
 
しかし命を懸けて己の信義を貫き通し戦ったこの大谷吉継や石田三成

宇喜多秀家 小西行長らをこの平成の世でTシャツというキャンパス

の中で蘇らせる事でオマージュとレクイエムにしたい…そんな気持ちで

一点一点描いています、そしてこれからも… 

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posted by 由 at 05:37| 京都 ?J| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

桃山時代遺構妙法院と長曾我部盛親公墓所

あぁ〜〜このblog書くの2回目・・・

最近PCの調子がおかしくってもう一息で完成してアップ

できてたのに・・・・うぅぅうぅう〜〜〜〜

全部消えた!!消えちてしまったよぉ〜〜〜!!!!

誰にも文句も言えず・・・

PCにパンチいれたいけどいれられず・・・・

あぁ〜〜〜この気持ちどこにもっていけばいいんだぁ〜〜!!!!?????i?{???????j

左近は私の頭ナデナデしてとっととお風呂に入ってった!

Tシャツを描かなくちゃ大変なのに・・・

テンションだだ下がりで?o?b?h?i???????????jっていつまでもごちゃごちゃ言ってないで

早くやらんか!!私!!

申し訳ないです。しょうもないこといっぱい書いてしまった・・・

気分直しに♪

木曜日の熱中夜話みてましたが、皆さんの熱さが観ている側にも

伝わってきましたよ。特にお世話になっている長曾我部最高委員会の

右衛門さんの喜びようときたら私までニタラニタラしてしまいましたよ^^

一位でしたもんね!!長曾我部元親公が!!

実現するといいですよね?????????i?V?????j

今回はお世話になっている方々のお顔が久々に観れて嬉しい限りでした???[???i?????????j

そろそろ本題にいかないと?????????i?????U?????j

朝からお花とお線香持ってかれこれ一年ぶりになってしまいましたが

長曾我部盛親公のお墓参りに行く事ができました?????????i?V?????j

morichikako1.jpg

左近は暑くなりましたなぁ〜っと一生懸命お水をかけてました。

そうそう、なにやら来月あたり最高委員会の方々が京都に集まられる事に

なるような話を左近が話してくれましたが、楽しみです♪

御住職はお留守だったので残念でしたが、又次の機会を楽しみに・・・。

その次に特別拝観中の妙法院へヤ?i?Z?_???j?_?b?V???i?????o???????j

庫裏の内部の撮影はやはり許可してもらえませんでしたが

myohouin0001.jpg

やはり想像以上に迫力ある庫裏で

内部には奈良の大仏様も入れる程なんだと説明してもらいました。

その後の大書院の障壁画は最高でした!!

狩野松栄、永徳の作だと伝えられている四季花鳥図など

桃山時代の豪壮な特色を残している素晴らしいものでした。

そのほかにも狩野山楽作の衝立や貴重な作品が多数あり

見ごたえ十分でした。

その後、想像以上の太閤の遺宝の数々に驚きをかくせないほどでした。

myohouin0002.jpg

太閤が使っていたであろう杖や太閤宛のポルトガル国印度副王信書や

甲冑、蒔絵文台、醍醐の花見で使用したであろう大きな瓢箪型の徳利

天目茶碗・・・・・

観ていくたびに横領されたと云われていた事を思い出し・・・

ドンドン複雑な気持ちになってしまいました。

けれど、妙法院にあったから、今も多数の遺宝が残っているんだって

自分に言い聞かせ言い聞かせ・・・

けれど、購入した冊子の豊公遺宝の説明文には“遺宝の一切が

妙法院に寄託された”と書いてあるのを見た瞬間・・・

凍りそうになってしまいました。

だから、これについては出来る限り調べていきたいと

大それた事を思ってしまった私でした。

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posted by 由 at 00:18| 京都 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

念願の立花宗茂(統虎)Tシャツ


 凄い雨も昨夜で上がり、今日は暖かい一日っと言っても

 まだ日曜日だというのに一歩も家からでていませんが・・・。

 左近念願の統虎Tシャツを描きあげておりまして?????????i?????U?????j

 ようやく出来上がりましたのでお披露目を!

munetota01.jpg

 前面に所用と伝わる大きな輪貫の脇立で有名な日根野頭形兜を美しく描き、

 晩年の名乗りの宗茂ではなく若き日の名である統虎としました。

 御存知の通り統虎は父に高橋紹運、養父に立花道雪という二人の猛将を父に

 持つサラブレッドともいうべき武将であり、本人自身も豊臣秀吉から

 『その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。』又『東に本多忠勝という天下無双

 大将がいるように、西には立花統虎という天下無双の大将がいる』と、絶賛された

 戦国時代後期屈指の名将ですよね。生涯一度も戦に敗れた事がなかったのではと

 言われる程ですが、その秀吉の恩義に報いるため関ヶ原では西軍として大津城攻撃に

 参加し一番乗りを果たして奮戦、開城させるも肝心の関ヶ原で西軍主力が敗退したため

 戦後失領してしまいますが、徳川家からもその器量を認められていた統虎は大坂の陣を経て

 元和6年(1620)旧領筑後柳川11万石の領主に復帰するという奇跡の復活を成し遂げます。

 義に厚く、剣術 弓術に長け茶ノ湯や蹴鞠を愛したという正に万人が認める文武両道の名将

 それがこの人、?????????i?V?????j立花統虎?????????i?V?????jではないでしょうか 

munetora03.jpg

Tシャツの説明に戻りますが、背面には軍旗である杏葉紋を配してまして

今回はTシャツをブラックにし金色?????????i?V?????jで描く事により統虎の無敵の強さを表現してみました。

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posted by 由 at 17:38| 京都 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月06日

桃山時代遺構妙法院と島左近屋敷跡

春の京都を満喫して気分一新頑張らなくてはと

東山に行ってきました。

myohouin1.jpg

嵐山が多かったのでどんなことになってしまうか?っと

不安に感じながらむかったのですが、

気が抜けてしまうほど快適に過ごすことができました???[???i?????????j

皆は桜の名所に集まってたのかな・・・。

まだ特別公開はしてませんでしたが、是非行きたかった場所へ

妙法院です。

myohouin02.jpg

この妙法院は天台宗の仏教寺院で皇族・貴族の子弟が歴代住持されてます。

他に青蓮院・三千院と共に天台三門跡と称されてきた名門寺院なのです。

myohouin03.jpg

そして、妙法院の庫裡が楽しみにしていた桃山時代の建造物

であり、豊臣秀吉公と深い関わりのある建造物なのです。

myohouin04.jpg

文禄4年(1595)に造営していた方広寺の大仏殿が完成し、

この年以降秀吉公は亡父母や先祖の菩提を弔うために千僧供養を

大仏殿でおこなったそうです。

千僧供養とは、当時の仏教の八宗(天台・真言・浄土・日蓮・禅・律・時・一向)の

各宗派の僧を集めて行なわれた供養のことを云うそうです。

その供養の際千人の僧の食事を準備した台所がここ妙法院にある庫裡だと

云われています。伝とはいえ、妙法院が秀吉公の千層供養に関与していたことは

日記や文書から明らかになっています。

その後大坂夏の陣において、豊臣家は滅亡し徳川幕府によって豊国神社破却の中

当時妙法院門主は積極的に徳川幕府に協力したといわれています。

方広寺・豊国神社や秀吉公廟等秀吉公に関係するものは無残な状態にされ

遺品等も横領したのは徳川幕府だとされていますが、実行犯は近くにあった

寺(妙法院)がしたことなのだと聞いたことがありますが・・・・ホント最悪…


myohouin05.jpg


話を庫裡に戻しますが?????????i?????U?????j

凄い迫力の庫裡なんですよ!!

私たち今までこんな立派な庫裡を観たことがありませんでした。

鬼瓦といい・・・豪壮な建造物です。中の梁など超豪快で正に桃山建築ココにアりです!。

公開中ではなかったので覗いただけですが・・・

公開したら又アップしたいと思いますが、写真は撮ることは叶わないでしょうね?o?b?h?i???????????j


そうそう妙法院へ行った時、島左近邸跡に茶店を開いたのが

始まりとされる料理屋さん『道楽』を見に行ってきました。

doraku01.jpg

入りたかったのですが・・・

なにか記念の日にでも・・・行けたらいいなぁ〜〜

doraku02.jpg

昼食のみ豊国弁当なるものがあるようです。

ご飯はひょうたん型になってるのかな・・・っと

今回は想像を膨らまして帰宅となりました。

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posted by 由 at 04:07| 京都 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月29日

豊臣秀次墓所 瑞泉寺

 豊臣秀次公のもう一つの墓所瑞泉寺を

 遅くなりましたがアップします

 この瑞泉寺は京都の繁華街木屋町三条にあります。

zuisenji01.jpgzuisenji02.jpg

 高瀬川を開創した豪商角倉了以が慶長16年(1611)に秀次一族の菩提を

 弔うために建立したお寺です。

 今では考えもつかないのですが、当時の加茂川に高瀬舟の水運があったそうなのです。

 狩野永徳が描いた洛中洛外図には荷を満載し加茂川を遍上する高瀬舟が

 描かれていることで知ることはできます。

 又、入ってすぐ一種独特な雰囲気が漂うこの瑞泉寺は、
 
 桃山時代当時は三条河原の中洲であり刑場でした。

 そして文禄4年(1595年)8月2日に関白豊臣秀次の子女・妻・妾三十余名 が処刑されているのです。

 瑞泉寺の縁起には多くの子供や女性の遺骸が刑場の脇に掘られた大穴に

 次々放り込まれてやがてその上に大きな塚が築かれ頂上には秀次の首を

 入れた石びつを据えて三条大橋を往来する人々への見せしめにした様子が

 詳しく描かれています。

zuisenji03.jpg

 境内には沢山の種類の花々があるのですが、左近はそれが

 逆に悲しさを倍増させると言ってました。

zuisenji04.jpgzuisenji05.jpg

 その後三条河原の塚は荒れるがままになり16年後の太閤秀吉の
 
 13回忌を前にして方広寺大仏殿の再建が決まりその建築資材を搬入する為

 安定した水運が必要となり角倉家に運河高瀬川開削工事の許可が下ります。

 その工事の過程で塚は整備され菩提を弔うため角倉家によってこの寺が創建

 されたのでした。
 
 ところで、秀次とその一族はなぜ抹殺されなければならなかったのでしょう?
  
 殺生を好み謀反を企てたなどという話は故意に拡大解釈されこじつけられたものでしょう。
   
 朝鮮出兵に対して肯定的でなかった?

 秀頼を溺愛する淀殿に懇願されて?

 はっきりした事はわかりません。
 
 でも言えることがあるとすればこの事件によって豊臣家は弱体化しその寿命を自ら縮めた

 余りにも悲しい出来事であったと…

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posted by 由 at 21:29| 京都 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月25日

真田幸村Tシャツ

 ほんの少しだけ花粉ましかな??って思ったら大間違い!!

 反動が大きすぎて大変です。

 小鼻の皮はめくれて痛いし・・・鼻の中は切れまくって痛いし・・・

 大変なことになっております。

 皆さんも油断大敵ですよ????????

 さてさてもう一つ新作を描いていたのが出来上がりました?????????i?V?????j

 真田幸村Tは沢山あるのでずっと見合わせていましたが、

 やはりはずすことは出来ないとイロイロ構図を考え決まったのが

 yukimura05.jpg

 麒麟図です。

 鳳凰・龍・亀・麒麟は四霊の総称とされており、

 小さな頃からその才を発揮し、天才軍師とまで云われた幸村を

 イメージする神獣は麒麟だと考えました。

 その中でも、角端(かくたん)という黒い麒麟は他の神獣を上回る神通力を持っていると

 されているようなので、角端に決めた訳です。

  あくまでも、私の幸村のイメージですが。

  大坂の陣におけるその神がかり的な活躍と幸村の持つ

  カリスマ性を表現するには最高の神獣だと思うのです。

yukimura02.jpg

 胸元には、北斗七星をあしらいました。

 北斗七星のおのおのの星が神格化され、

 戦争や勝負事の神様として崇拝されていたということで

 沢山の武将が北斗七星信仰や日月信仰を崇拝していたとされています。

 特に北斗七星の第七星は破軍星といい合戦に関係する星として武家に

 重んじられてきたと言います。

 真田家も七星信仰との関りがあると聞いたことがあったので

 そのデザインを取り入れることにしたのです。

 どうでしょうか?

 この作品も歴史城さんで置いて頂くことになりました♪

 さてさて又仕事に戻り頑張ってきます!!

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posted by 由 at 00:16| 京都 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする