雪舞う中ワッセワッセと
自転車乗り久々に妙心寺へ行ってきました

日頃の行いが悪いのか・・・なぜ雪になるんだ!!っと思いながらも
心は逸ってました

まず、妙心寺に来たら必ず行っておかなくてはいけない場所があります。
寿聖院境内にあるお三成一族のお墓参り。


いつも参らせて頂きありがとうございますm(__)m
そして、1度見てみたかった
三門(山門)が特別公開という事で上がって
きたんですが


いやいや・・・階段を登っている途中ハッ

っと気が付いた
「私、高所恐怖症だった

」
凄い急な階段で足がすくんでいくけど・・・やめるわけにもいかないし
後にはいっぱいの人が並んでられる。根性きめてガクガクしながら昇りました。
残念なのですが、
写真撮影は禁止なので撮る事はできなかったのですが
中は素晴らしい極彩色の世界。
この三門は重文にも指定されており、慶長4年(1599)の建造となっています。
説明によると、関ヶ原前年に
徳川家康によって・・・・っと
(ん〜〜私はどうも徳川という名前を聞くと記憶が更に悪くなるのです。)笑
それはさておき、楼上には観音菩薩像、十六羅漢像が安置されており天井や
柱、梁などには飛龍や迦陵頻伽(かりょうびんが)や
楽器、天女など狩野一派の
手により描かれていました。
そして、東福寺・大徳寺の三門についで古い三門なのだそうです。
それから、なかなか行けなかった
衡梅院へ。


この衡梅院は慶長9年(1604)に再建されているのですが、
その寄進した武将が大坂夏の陣、七手組の1人である真野蔵人です。
又、
豊臣秀吉七回忌である慶長9年(1604)8月に行われた祭礼において、
騎馬行列の際200騎献納されたのですが、真野蔵人も献納した1人のようです。


ただ、昭和50〜53年に前面解体修理はされておりますが、再建当時の
禅宗方丈
建築を復元されたのだそうです。屋根は入母屋造りこけら葺と
なっていて非常に美しい方丈でした。
公開はされていませんが豊臣関連で紹介、
雲祥院です。


海山和尚ゆかりの院で、上杉景勝の家臣千坂宗策が創建した
亀仙庵が
前身で海山和尚が祥雲寺を追われ妙心寺へ戻ってきた時、雲祥院と
改められたといわれています。
(祥雲寺は秀吉が棄丸を供養するために開かせたお寺で追われる当時の
住持だったのが海山和尚)
ただ、
火災により今は何も残っていないようですが・・・。
今回写真を撮り忘れてしまってないのですが、この雲祥院の隣が北政所の
姉の菩提寺
長慶院です。
昔に撮った写真が探せばあるはずなんですが・・・

長慶院の門は、伏見城の東門を移築したものといわれております。
海山和尚は、祥雲寺を追われた時棄丸の霊屋(祥雲院殿)・棄丸
遺愛の品々を妙心寺の
玉鳳院へも移しています。


この玉鳳院には、徳川家歴代将軍の位牌もあるのですが、
織田信長・信忠などの位牌の他秀吉の位牌もあるのですが、
家康が改めさせた「国泰院俊山雲龍大居士」の位牌ではなく
「豊国大明神」と書かれた位牌があるのだそうです。
ちなみに、棄丸の
玩具は重要文化財となっています。


それにしても、妙心寺の中で非常に観たい塔頭は非公開が多いです

変わったところで
春光院にある南蛮鐘。


この春光院は、堀尾吉晴が18歳で亡くなった金助を弔うために
建立した菩提寺です。
他にもいろいろあるのですが、次回特別公開があった時にでも・・・。
そうそう、地元京都の前に
東京国立博物館の平成館にて
1/20〜3/1まで特別展「妙心寺」がありますよ!!
そこで、なんとなんと
棄丸所用の玩具や
海北友松の花卉図屏風
・狩野山楽の竜虎図屏風が観れます

ただ期間が長いのでそれぞれの作品の展示期間を確認してからの方が
いいですよ!!
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